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田屋

田屋について田屋の歴史 > 昭和(戦後) 1946~1988

About Taya
田屋について

田屋の歴史

1952
(昭和27)

4月、株式会社に改組。梶原市太郎が代表取締役に就任。

イラスト「アンクル・タヤ ―戦前と戦後―」
イラスト「アンクル・タヤ ―戦前と戦後―」

イラスト「アンクル・タヤ ―戦前と戦後―」

右側が現在田屋の包装紙にも使われているボウタイ、ソフト帽の紳士。戦前は鼻筋の通った30年代風アメリカ紳士(左)であったが、戦後は顔が左向きになり、肉付きのいい、ショーン・コネリー似(?)の紳士に。

1956
(昭和31)

日本が国連に加盟。
― 国際社会への復帰を果たした。経済白書は高らかに「もはや戦後ではない」と謳った。

12月、渋谷・東急文化会館に渋谷店がオープン。

渋谷地区開発の先鞭を着けた東急文化会館/特選街に渋谷店がオープン。坂倉準三(1904~1968)設計によるビルは映画館やプラネタリウムの入った、当時としては画期的な複合商業施設である。

昭和30年代のロゴマーク

昭和30年代のロゴマーク

1957
(昭和32)

6月、阪神百貨店/特選街(大阪市梅田駅前)に大阪店がオープン。

1958
(昭和33)

4月、丸越百貨店(石川県金沢市)に金沢店がオープン。

1961
(昭和36)

8月、H.B.C.三条ビル/東京銀座街に札幌店がオープン。

広告 札幌店(昭和36)

広告 札幌店(昭和36)

高度成長期の始まり、多くの「銀座街」が全国に進出した。

1964
(昭和39)

東海道新幹線が開通

東京オリンピック開催

1966
(昭和41)

6月、銀座四丁目本店ビルを新築(銀座三越との共同建築)。

本店写真(昭和40年代)

本店写真(昭和40年代)

高級チーク材でまとめたアイルランド風の明るい内装に加え、外装は当時、東京芸術大学教授だった漆芸家・六角大壤(ろっかくだいじょう)(1914~1973)の指導のもと、商店建築では初の漆仕上げを試みる。施工の職人が漆にかぶれて困ったという話も残っている。

10月、中央区商店コンクールで「最優秀賞」受賞。続く東京都商店コンクールでは「東京商工会議所会頭賞」を受賞する。商店建築として注目を集める。

1967
(昭和42)

6月、名鉄メルサ本店(愛知県名古屋市)に名古屋店がオープン。

1970
(昭和45)

銀座通りで全国初の歩行者天国。

11月、田屋商事株式会社(開発・卸部門)を設立。

清水比庵(1883~1975) 書「田屋 比庵八十七才」 (昭和45年)

清水比庵(1883~1975) 書「田屋 比庵八十七才」 (昭和45年)

弟の清水三渓先生を通して親交のあった比庵先生より贈られた。今も本店に掛かる。

1971
(昭和46)

11月、阪急三番街(阪急梅田駅地下)に大阪店が新装移転。

1973
(昭和48)

10月、金沢店がスカイプラザ(スカイビルディング)に新装移転。

1975
(昭和50)

8月、札幌パルコ(北海道札幌市)に札幌店が新装オープン。

昭和のオリジナルネクタイ

昭和のオリジナルネクタイ

プリントタイの全盛期、こんなネクタイもあった。

1977
(昭和52)

10月、玉川髙島屋S・C南館(東京都世田谷区)に玉川店がオープン。

1978
(昭和53)

8月、札幌エスタ(北海道札幌市)に札幌店がオープン。

1979
(昭和54)

8月、市太郎死去につき、梶原章が代表取締役社長に就任。